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2005年12月06日

広島ラーメン 広島[がんす]

飲んだ後のラーメンはうまい。実際はお腹一杯でも脳が求めるようだ。東京には全国のラーメンが集まる。でも広島ラーメンは聞いたことがない。

ホテルで近くのラーメン屋を教えてもらった。駅に隣接するビルに2軒。一軒は九州ラーメン。もう一軒は尾道ラーメン。広島で九州ラーメンでもないだろう。尾道は岡山県、それに銀座8丁目で飲んだ後しばしば新橋駅前で食べている。

駅周辺を歩くことにした。新幹線口近辺を一周したが見つからない。地下通路を通って南口に出る。広島ラーメンの看板や幟を探して10分位歩いたが見つからない。諦めて駅から見てすぐ斜め前のラーメン屋に入ることにした。広島の味と書いてあるのに期待して。

中に入ると先客が二人。二人とも地元の人のようだ。
「ここのラーメンは広島ラーメンですか?」と聞いたら「そうだ」と言われる。「広島ラーメンってあるんですね」と念を押すと「まあね」と曖昧に応える。どっち?と疑問に思っていると
笑いながら「実は広島ラーメンと言うものはないんですよ」と言う。
まあこのおやじが作るラーメンが広島ラーメンだと一人納得する。

がんすのラーメンはとんこつと鶏がらでだしをとる。尾道ラーメンに近い味のようだ。
「結構濃い味ですね」と言うと、すまなそうに「やっぱりそうかい。本当は昨日スープを入れ替える日だったけど、面倒臭いから明日にしようと思ってね。」と言って苦笑い。
先客が帰り、銀髪一人になったので、のんびりと二人で会話した。

大将は16年前に脱サラをしてラーメン屋を始めた。奥さんが別に仕事を持ち生活を支えてくれた。誰にも師事せず一人で味を確立した。とんこつと鶏がらでスープを作る。もやしとたっぷりのねぎを入れる。大将は自らの怠慢を謝るが、とても美味しい。

以前、店は新幹線口にあり、週刊誌で取り上げられてからは連日行列ができたと言う。奥さんも自分の仕事をやめて手伝わなければならない程繁盛していた。ところが最愛の妻は9年前に亡くなってしまった。子供がいないため仕事をやる気も失せた。失意の中、新幹線口の店を閉め南口に移転した。

最愛の妻との古き良き日を思い出しているのか、遠くを見ながら噛みしめるように、ゆっくりと、淡々と話す。
必死に働く意欲はないと言いながら、自分のラーメンに対する誇りは消えてないようだ。大量にねぎを入れた自作を自慢する。

誰にもドラマがある。大将の昔ばなしが終わった頃、新規の客が入ってきた。

「大将、頑張ってね。また来るからね」と言って店を出た。

「がんす」とは、広島の古い方言の一つで、「~です」という意味。
使い方としては、「おはようがんす。→おはようございます。」
「そうでがんす。→そうですね。」のように使うそうだ。

なぜ店名をがんすにしたのか聞き忘れた。きっと理由があるに違いない。
次回広島に行ったときの宿題が残った。


投稿者 銀髪 : 2005年12月06日 07:43

コメント

日本人って、ラーメンが大好きだよね。
銀髪はあまり記憶がないと思うけど、死んだ親父はラーメン、うどんが大好きで、それも汚い店ほど美味しいと言う妙な信念を持っていて、母親共々閉口した記憶があります。
我々が住んでいた40年以上前は「博多ラーメン」「長浜ラーメン」などと言う名称はなく、「食堂」「屋台」共にラーメンと言えば白濁した豚骨スープのものだけでした。
東京の大学に入学して初めて食べた「中華そば」。黒い汁に怖気を振るい、完食できませんでした。
「博多ラーメン 赤暖簾」が六本木のはずれに出店したのはそんなな昔のことではありません。オーナーが同級生と言うこともあり、高校の仲間達で大挙して食べに行った記憶があります。
替え玉に感動したのは言うまでも有りません。
余談ですが、今でも大好きなインスタントラーメンは「まる泰の棒ラーメン」です。  
           豚兄/kem

投稿者 st.kem : 2005年12月06日 15:06

ほかの客がいなかったというシチュエーションに恵まれたからでもあろうが、銀髪が初めて会ったヒトからその半世を聞き出している場面は、もう少し続いて欲しいと思うような魅力的なシーンでした。
がんすの語源については続編を待つが、時代がかった物言いでは「こちらが高砂のアナゴでごあんす」とカウンター越しに一貫数百円の握り寿司を差し出されたような記憶がある。
ついでのことに、「ござんす」とか「ござんせん」などという老婆の物言いも記憶にあるのだが、全て関西の言葉かと存じまする。

投稿者 ヒマジンスキー : 2005年12月07日 15:47