子供の頃は父があまり遊んでくれないと不満に思っていた。しかし、今自分が親になってみると己の怠慢が恥ずかしくなってしまう。
中学3年生のとき大阪万博があった。兄たちは成人になっていたので、両親と3人で万博に行った。米国館の月の石を見るために熱暑の中を長時間並んだ。ソ連館に並んでいる間に日が暮れて、母は貧血を起こしてしゃがみこんだ。両親は辛抱強く息子につき合ってくれた。
昨年の愛知万博には一度だけ仕事で行った。母子家庭さながら、我が家は銀髪抜きで愛知博に行った。銀髪には声がかかることすらなかった。いつ休暇が取れるか分からない銀髪のスケジュールに合わせていたら、永遠に旅行には行けないと思われている。父の努力・配慮に比べて何たる体たらく。
映画にもよく連れて行ってもらった。ただし、同級生たちが見ていたゴジラやモスラなどの子供向けの映画は稀で、もっぱら勝新太郎と市川雷蔵の二本立てだった。座頭市、兵隊やくざ、悪名、眠狂四郎、若親分、陸軍中野学校などなど。子供のくせにませたガキになったのはこのせいかもしれない。
そして昼ごはんはいつもうどん。中洲川端の玉屋デパートの地下にあった「英ちゃんうどん」に行った。「因幡うどん」の方が人気があったが、なぜか英ちゃんうどんなのだ。ごぼう天うどんと稲荷を食べた。
今、英ちゃんうどんはない。バブルの後遺症で倒産したとか。そこで博多出張の際に因幡うどんを食べに行くことにした。
「昔は博多と言えば豚骨ラーメンではなくうどんだったのではないですか」とタクシーの運転手さんに聞いたところ、同意を得られた。ラーメンは屋台で出す汚い食べ物(汚い器?)で、子供が食べるものではないといつも母に聞かされた。それが今は全国区。博多うどんは地元以外はマイナーな食べ物だ。
東京に転校したての頃、小田急線下北沢駅の立ち食いそば屋に入って、その真っ黒なおつゆに衝撃を受けた。驚いたが最後まで我慢して食べた。すぐに慣れてしまい、その後頻繁に通った。人間の、特に子供の順応性たるや大したものだ。
東京駅に文字どおり「博多うどん」がある。八重洲で働くようになってよく行った。いつの間にかこれが博多のうどんの代表的なものと思い、英ちゃんうどんもこれと同じだと信じ込むようになった。
博多で食べてみると、麺とたれはどこも似たり寄ったりだが、ごぼう天は店によってかなり違う。
今回因幡うどんで食べたごぼう天を見て、もしかして英ちゃんうどんもこれと同じだったのではないかと思った。熱いたれをかけると天婦羅の衣は瞬く間に分裂し、たぬきうどん風に変身してしまう。
いやいや、店によって違ったから父は英ちゃんうどんにこだわったのかもしれない。
確かめるにも英ちゃんうどんはつぶれ、父も亡くなってしまった。次兄に聞けば分かるだろうか?次兄は座頭市の真似をよくしていたから、多分映画は3人で見に行ったに違いない。4人だったかな? 5人だったかな?
40年以上前の記憶はせいぜいこんなもんだ。
投稿者 銀髪 : 2006年01月20日 07:50
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