お彼岸の思い出は母手作りのぼたもち
子供の頃、お彼岸=墓参りの習慣は我が家になかった。父の両親の墓はハワイにあり、母方の墓は日本にあっても日帰りで行くには辛かった。
従ってお弁当を持って墓参りに行ったと話す友人を羨ましく思ったものだ。
唯一の楽しみはぼたもちだった。子供だから大きく感じたのかもしれないけれど、我が家のぼたもちは特大だった。
どの家庭もお彼岸にはぼたもちを作る。大量に作って近所に配る。お返しもぼたもちということになり、大きさを比較することができた。もちろん、我が家のものが一番大きかった。
これを兄たちと競争して食べた。小さいからだで3つ、4つと食べていたのだから驚く。外を走り回って遊ぶのが子供の仕事と、親も子供も割り切っていた。いくら食べても太る心配はなかった。「勉強しなさい!」と言われることもあったが、「勉強は学校でするもの!」と胸を張った。
日本橋高島屋にぼたもちは売ってなかった。春はぼたもち(牡丹餅)、秋はおはぎ(お萩)と呼び名が違うと教えられたが、今では季節に関係なくおはぎと呼んでいるようだ。ぼたもちよりおはぎの方が上品に聞こえるからだろか。
以前、八重洲の裏通りに昔懐かしい大きなおはぎを売っている店があったが、麹町に移ってしまった。高島屋で買ったおはぎはいかにも上品で小さかった。
会社の女性に「昔はお母さんが作ってくれたでしょ?」と聞いたら、「いいえ、作ってくれたのはお婆さんでした」と返された。確かに銀髪の母と、彼女のお婆さんが同年代だ。
昔食べたぼたもちの材料はもちろんすべて国内産だった。今では、「国内産」「遺伝子組み換えをしていない」などと書かれ、値段が高くなる。お母さん手作りのおはぎを食べられる子は幸せだ。
昔、お母さんたちは冷蔵庫や冷凍庫に頼らず、毎日新鮮な材料を買って来てごはんを作った。おやつだって、ぼたもち、ドーナツ、ホットケーキ、ふかし芋などなど、お母さんの手作りが多かった。
日本の食は進歩しているのか、退化しているのか良く分からなくなるときがある。お母さんも昔は偉大な存在だったが、いまでは子供たちにとってお友達みたいだ。いいのか悪いのかは分からない。
投稿者 銀髪 : 2008年03月20日 07:45
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